前回の記事には多くの反響をいただき、本当にありがとうございます。
夫婦の問題、特に「離婚」という話にまで進んでいる場合において、「離婚」を切り出されている側が、どのように考えているのかを自分の『発達障害』を切り口にして、思うままに書き連ねてみたのが前回の記事となります。
今さらながら…ですが、あの記事の内容ってどう見ても普通じゃない…ですね(汗)
私の場合、どうやら文章にすることにより物事を客観的に捉えられるようになるみたいなのですが、最近は書いている間に客観的になりすぎてしまい、自分自身のことなのにまるで他人のことを書いているかのように感じている自分に気が付きました…!
まずいです!非常にマズイことですよ!!(たぶん←)
でも、だからこそ淡々と書けてしまうんだろうなぁ…とも思うわけで。
これから先も、『えぇっ!』と思うような内容の記事が飛び出してくるかと思いますが、そこはもう…私の持ち味として受け取っていただければ幸いです。
あ、一応その問題の前回の記事を置いておきますね。
大人になってから気付くということ
前回の記事の内容からちょっと切り取った形にはなりますが、私たち夫婦にとって『発達障害の診断を受ける』ということは、とても重要な出来事となりました。
私にとっては、人生の岐路に立ったといっても過言ではありません。
私と同じように大人になってから“発達障害の診断を受けた方”にとって『発達障害の診断を受ける』ということは、自分を知る第一歩となり、前に進むきっかけとなり、幸せになるチャンスを掴めるかも?!といったような大きな転機となるのです。
えっ!?…発達障害だと診断されるってことは普通じゃないことが確定するんだから、人生においてマイナスなんじゃないの?と思われる方もいらっしゃるかもしれません。
自分が発達障害だと気が付かずに社会に出てしまうと、何かしらの苦労や挫折を味わうような場面に必ずと言っていいほど遭遇します。
それは、仕事面で…かもしれませんし、家庭内において…かもしれません。
大人になってから発達障害に気が付く人の大半は、子供の頃にはその発達障害に周りから気が付かれなかったということですから、それなりに上手にやってこれた、または人よりも知能が高めで、“ちょっと変わっているけど、まぁ優秀だしな”と先生から問題があると思われなかった方が多いようです。
またADHDを持っていたとしても、女性に多いとされる多動が目立たないタイプ『不注意優勢型』の方も 、その発達障害に気づかれにくい傾向にあります。
※本人が苦手な部分をカバーするだけの努力をしていたからこそ、周りに気が付かれなかったとも言えそうです。
そんな方々ですから、社会に出てから上手く対応できない場面や現実に直面するということは、想像以上にツライ状況だと考えて間違いないでしょう…。
なぜ上手くできないのだろうか、何が問題なんだろうか…そもそも、自分の何が間違っているかも分からない…そのようなことを考えつつも、どうにかしようと必死にもがき続ける…そんな闇の時代が訪れます。(訪れない場合もあります。)
その期間が長ければ長いほど、二次障害へのリスクも高まります。
また、もしかすると自分だけではなく、時にパートナーさえも巻き込んで、この闇の時代に囚われてしまうかもしれません。
このような負の連鎖から抜け出すための第一歩、それこそが、実は『病院で診断を受ける』ということだったのです!
発達障害に家族が気付いた場合
何度かブログの記事内でも触れていますが、我が家の場合、私に発達障害の診断が出たことにより、夫が長年悩まされ続けた私の理解不能な行動・言動は殆ど全て『発達障害』が原因だったということがわかり、夫自身納得と理解ができました。
そのことで、夫の気持ちはとても楽になったそうです。
また、私自身も自分を知ることにより、今までの自分と素直に向き合うことができるようになりました。
自分の性格や行動等の根本となる原因がわかるようになった今、どうすれば上手く対処していけるのかを現在模索中です。
※私の夫は気持ちの上で楽になったと言っていますが、家庭内においては特に状況が変わったわけではないので、相変わらずキツイままだ…とのことです(汗)
我が家のケースについての詳しい内容は、以前の記事に書いています。
私たち夫婦のように、パートナーからの申し出により“発達障害の診断を受ける”流れになった場合、診断が出て気持ちが楽になるのはパートナーの方です。
パートナーはそれまで1人で苦しんできたことについて、当事者の主治医に理解してもらえますし、今後のアドバイスもいただくことができるようになります。
夫婦揃って発達障害を理解し、一緒に対処や工夫をしていけるかもしれません。
また、必要ならば様々な支援を受けることも可能となります。
そのようにいくつもの可能性が広がるということは、1人で抱えてきた悩みを他の人と共有できるということにも繋がり、パートナーや家族にとって今後の明るい光となり得るのではないかと思います。
とは言っても、やはり発達障害がある人と一緒に暮らしていくことは、かなり大変なことですので(もちろん程度はありますので、一概にそうとは言えませんが…)、それなりの覚悟は必要かと思います。
大切なものは何かを考える
先ほど、『パートナーからの申し出で“発達障害の診断を受ける”流れになった場合、診断が出て気持ちが楽になるのはパートナーの方』だと書きました。
じゃあ当然、発達障害を持った当事者はどうなんだ!という話になりますよね。
私もそうでしたが、パートナーを苦しめていた原因に自分の持つ発達障害が大きく関わっていると分かり、自分自身に折り合いをつけることができるため、“スッキリ”される方が大半かと思われます。
ただ、“スッキリ”できたところで、その原因となる発達障害は取り除くことができないため、 問題が新たな形に変化したと考えられなくもないです…。
例えるなら、それまでは大荒れに荒れた大海原で取り残された船のような状態だったところから、少し波が収まってやっと周りが見えた状態になったという感じでしょうか?(でも、大海原にポツン感はあまり変わっていないという…ね)
覚えておいて貰いたいことは、発達障害を持っている人は基本的に人の気持ちを汲むことが苦手なため、どうしても自分が自分が!と自分勝手になりがちです。
パートナーが困っているという話だったはずなのに、いつの間にか脳内変換されて、『自分も困っていた→原因が分かってスッキリした→じゃあ、その苦手な部分やできていない部分に対して工夫や対処をすればパートナーも困ることないよね?』みたいな短絡的な発想をしてしまい、勝手に暴走し始めかねません。
下手すると『こんなに頑張っているのに、なんで認めてくれないんだ!』と逆恨みをされ、逆ギレされるという可能性まで出てきます…。
意味が分かりませんよね。
誰もそんなこと頼んでないのに…というようなことをやった上に、逆ギレされてしまうなんて、普通ならあり得ないのですが、発達障害ならではの自分勝手な脳内変換と人の気持ちがわからない・共感できないという特性から、こういうことが起こり得てしまうのです。
そうなる前に、しっかりと覚えておかなければいけないことは、夫婦・家族において『何が問題だったのか、何を問題としてどう解決していきたいのかという部分を一致させておくこと』これが大事なポイントとなります。
それぞれの夫婦・家族により、問題点や向かって行きたい方向は様々だと思います。
ですが、向かっていく先がどんな方向であれ、問題は相手がいる以上1人では解決しようがありません。
『発達障害の診断を受けること』は、その問題点をクリアするための一通過点であると私は思っています。
そのことを踏まえ難しいとは思いますが、とことん話し合いを行ってみてください。
話し合うことにより、自分たちが向かって行きたい方向や目的を一致させることができれば、解決への道を一歩進んだことになるかと思います。
(その話し合いが結構…いや、かなり難しかったりするのですが…!)
厳しい意見となりますが…
『“発達障害の診断を受けて欲しい”というパートナーからの申し出に、当事者が一切耳を貸そうとしない』場合はどうすればいいのか?こういった話も結構ありがちみたいですが、その場合は…ある意味どうしようもないです(汗)
本人を無理やり引っ張っていったところで、発達障害の診断なんて受け入れられるはずがありませんし、認めようともしないでしょう…。
でも、よく考えたら“診断を受けて欲しい”と言っている時点で、家庭内において何らかのトラブルが発生しているワケで、その上でパートナーの申し出を断っているのですから、普通の状態ではないことがわかります。
パートナーはそれまでに「私はあなたのこういうところに傷ついています。ここの部分に困っています。」という話しを何度もしているはずですよね。
そのことが上手く伝わらない、分かってもらえないので、「発達障害かも?」と疑うことに繋がった…と考えると、その申し出にも応じない相手とは一緒にいることが難しいかと思われます。
そういう意味で、どうしようもないかなと敢えて言わせていただきました。
また、『発達障害の診断が出て気持ちが楽になるのはパートナーの方』という話についても、“楽になる”の捉え方が色々あることも書いておこうと思います。
- 発達障害だとハッキリしたことで、生活への工夫や対処の仕方が考えられるようになるので、今後の方向性が見えてよかった
- 当事者のこれまでの行動や言動に、悪気や悪意があったわけではないことがわかってよかった
- できないことが当事者の怠けによるものではなく、発達障害による苦手な部分だとわかり、そこを責めても仕方ないと思った
- 発達障害のクセによるものならば治しようがないので、改めてその部分と向き合っていこうと思った
- 発達障害ということで、ある意味治しようがないことがわかったので、もう自分が頑張ればいいやと1人で家族を支えていく決意をすることができた
- 発達障害だとハッキリとしたことで、どう頑張っても歩み寄りや気持ちをわかってもらうことは難しいと感じたため、離婚への決意が固まった
…後になればなるほど、当事者には厳しい内容になっていますが、でもパートナーとしては当然こういったことは考えると思います。
発達障害の診断を受けて欲しいと申し出ている時点で、たぶんそれぐらい深刻な状態になっているかと思われますので…。
私は発達障害の当事者側なので、書いていて何となくしょんぼりしてしまいますが、事実から目を背けても前には進めませんので、気持ちの面ではなかなか理解や共感ができない分、せめてちゃんと書いておかないと!思った次第です。
そう…私の苦手な部分。
文章上では書けるのに、イマイチそれがどういうことなのかが実感できないという…言ってることとやっていることの乖離がかなり酷いので、こう言えるかもですね。
この文章を書いている中の人は…いませんっ!
…次回へ続く☆( ↓ 続きの記事です)
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