今回の記事は前回から引き続きの内容になるのですが、続き物を書くにしては日を開けすぎてしまいました…。
3週間以上ですよ!
なんかもう…かなり、しょんぼりな月子ですよ、こんにちは。
仕事を非常にタイトな進行状態にしてしまったがために、記事の続きを書くどころか、日常生活にも仕事を食い込ませなければ終わりそうになくてですね…。
あ!このような話しをすると“忙しそう・大変そうだ”とか思われるかもしれないのですが、そもそも私はそんなに仕事をしてないです。というか、仕事ないです。
たまたま今回お声掛けいただいた内容がボリューミーだっただけで(泣)
そんな仕事状況であわわわしている私に対し、夫はガッツリと協力をしてくれ、その有難いサポートのおかげで、仕事はなんとか…なりました!!!
本当に夫には感謝の言葉もありません!!
次は、率先して私が夫をサポートする側に回りたいと思います☆(…ホント!?)
それでは、気を取り直しまして。
シリーズ化しています、“発達障害の診断を受ける必要性とは?”について話を進めたいと思います。
前回は『家族・パートナー』から発達障害ではないかという指摘があり、“発達障害の診断を受ける”ように申し出があった場合、どうすればいいか…?というお話しをいたしました。
今回は当事者が、“自身の発達障害に気づくことができるのか?”について考えていこうと思います。
発達障害と共に歩んできた自分
前回書いた内容の『家族・パートナー』から指摘をされて初めて自分に発達障害があると気が付く…といった場合では、明らかに“自分自身ではそのことに気が付いていなかった”ということになります。
では、発達障害を持っていることに誰も気がつかないまま、子供~学生時代を経て社会に出ている状態で、更にまだ『家族・パートナー』に巡りあっていない場合、“自分自身に発達障害があるかもしれない”と気が付くきっかけはあるのでしょうか?
そもそも…の話になりますが、自分で自身の発達障害に気が付くということは、実はとても難しいことなのです。
それはどうしてでしょうか?
発達障害があるにしろないにしろ、これは多分誰にでも当てはまることだと思うのですが、産まれた時から自分は自分であって、その個々の個性を当たり前に受け入れて生きてきています。
プラス、自分以外の他人の感覚というものを体感することはできないので、自分自身の感覚・行動・言動に対して特に違和感を感じるようなことは少ないと思います。
それを踏まえて考えると、発達障害がある人にとって発達障害がある状態がいつもの自分であり、普段通りの姿なのです。
発達障害は病気ではなく生まれつき持っている脳の特性であり、ある日突然降って湧いたモノではないので、ある意味違和感の感じようがありません。
その普段通りである自分自身が、周りの人とどこかが違うなんて考えもしませんし、それどころか周りの人も自分と同じようなことを考え、行動し、似たような感覚を持っているに違いないと信じて疑うことはないのです。
ここまで読まれて、私の書いている内容に対し“なんか極端だし断定しすぎでは?”と感じられた方がいらっしゃるかと思います。
そのことについては後ほど改めて触れるとして、次はもう少し別の角度からお話をしてみることにします。
自分を客観的に見るって難しい!
こういうことって身に覚えがありませんか?
例えば、周りや身近な人から「あなたって、ちょっと身勝手なところがあるよね。」と言われて「えっ!自分にそんなところがあったなんて…気が付かなかった!」と驚いてしまった…というような経験。
人から指摘されて初めて気が付く自分自身のことってあると思うのです。
それって、自分のことを客観的に見ることができていなかったために、それまで気付くことができていなかったということだと思います。
もしくは…知ってたけど、見て見ぬふりをしていたという場合もあり得ますが。
喩え話を敢えて欠点・短所な内容で書いた理由。
それは、人って意外と言われて嬉しい事は素直に受け取ろうとしますが、言われて嬉しくないこと…批判だったり、自分の欠点だったりと、そのような内容の場合にはなかなか素直に認めることが難しいのではないかと思ったからです。
そんなことはない!と真っ向から否定してみたり、いや…でもそれは…と言い訳をはじめてみたり、そうかな?と受け入れたと見せかけて聞き流してみたり。
もちろん、素直に受け止めて改善をしようと思われる方もいます!
(指摘される相手によって、自分の態度が変わるってこともありますね…)
人によって様々な反応が考えられますが、自分が気がついていなかった欠点や短所を指摘されてから、そのことに向き合うのって結構なパワーが必要な気がします。
やっぱりできればフタをしておきたいですよね?(って、そんなことは…ない?!)
指摘された時に、カチンと頭にきちゃう場合…それって、実は自分自身そのことに薄々気がついてはいるんだけど、でもそれを認めたくはなくって見て見ぬふりをしている時に起こる反応ではないかと思います。
だから、そういう場面に遭遇した時には“あ…図星だったんだな”と思っちゃいます。
もし、自分で本当に気がついていない場合は、笑いながら否定をするか、何のこと言っているんだろう?とポカンとなってしまうか、他人事のように感じてスルーをするか…そんな感じの反応になるかと思われます。
えっと、話が大幅に逸れていきましたが、要は“基本的に大抵の人は自分自身のことを客観視することが難しいのではないか?”ということが言いたかったのですね。
ということで、発達障害を持っていながらそのことに気づいていない人に関しても、上記のような喩え話と同じような感じで、自分の発達障害に気が付いていないだけなんだな…と思っていただければ分かりやすいかも?という発想から、非常に周りくどいお話をしてしまいました。
発達障害がある場合の客観性
自分が発達障害を持っていることに気が付いていない人は、定型発達の人と違って苦手なところがあったとしても、他の人よりもちょっと苦手なだけで、みんなこんなもんだろう…と思っています。
もちろん、個々によって苦手なレベルはそれぞれですが、大人になるまで周りに気づかれなかった人の場合、自分自身が“…人と自分はちょっと違うかも?”と思ったとしても、それが発達障害のせいだとはなかなか結びつきません。
そうなってしまうのには、実は発達障害ならではの理由があります。
- 発達障害を持っている人は想像力の欠如が大なり小なりあり、他人と自分の違いを想像で埋めることが難しく、単純に同じではないかという答えに結びついてしまいがちである
- 自分自身を客観的に見ることが元々苦手である…逆に言うと自分主体になりがちなため、“【自分】が他人とは違う”という発想になりにくい
その他にも色々と結び付けられそうな“発達障害の特性”はありますが、大きくこの2つの要因が考えられるのではないかと思います。
こういった理由から、発達障害を持っている人は自分自身に“発達障害があるのかもしれない…”と、より気づきにくくなっていると言えそうです。
話は前後しますが、私が先ほど“極端に断定的な言い方”で書いた文章。
その普段通りである自分自身が、周りの人とどこかが違うなんて考えもしませんし、それどころか周りの人も自分と同じようなことを考え、行動し、似たような感覚を持っているに違いないと信じて疑うことはないのです。
これは、上記の2つの要因を踏まえた上で書きました。
発達障害を持っている人は客観的に自分を見ることが苦手なので、自分主体・自分視点で物事を考えがちです。
その上さらに想像力の欠如により、“人ができることと自分が苦手でできないこと”の違いについて想像を巡らすことが難しいため、「…まぁ、そんなものなのかな?」ぐらいの感じで処理し、“人は【自分】と同じだ”という考えに落ち着いてしまいます。
※上記の部分で最初“自分は人と同じだ”という文章を書いたのですが、「あぁ、違う…発達障害の人だったら自分主体で物事を考えるから、“人は自分と同じだ”という発想になるだろうな」と改めて思い直し、書き直しました。
この発想の違いが、日常において結構摩擦を生んでしまう原因になるんですよね…。
また、発達障害を持っている人って、自分の気持ちを表現したり伝えたりということが苦手だったりします。
これは発達障害の特性により、自身がその時に感じている感情や行動をしている理由を自分で把握することが難しいため、自分がどう思っているのか・どうしてそのような行動をしているのかを相手に伝えることができないのです。
なので、そもそも客観的に見るという以前の問題なのかも…という気がしました。
(もちろん発達障害があっても、この感情の把握にはかなりの個人差があります。)
長くなりましたが、発達障害を持っている人にとって自身の発達障害に気が付くということは、定型発達の人が自分のことを客観的に見るという行為に比べると、ずっと難しいことだと理解いただけたかと思います。
…と、今回はここまでとなります。
完全に、タイトルに偽りあり!ですよね…。
全然“発達障害の診断を受ける必要性”に触れるところまで行けていないという!!
なんとかサブタイトルでごまかしてみましたが、苦しすぎました(泣)
今後はできるだけ早めに記事をUPしていく予定です!
もし、次を待ってくださるのならば…少しの間、お待ちいただければ幸いです☆
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