介護。それは皆さんにとっても身近で切実な問題ではないかと思います。
2013年の初冬、その問題が私にも突然訪れました。
一人暮らしをしている母のおかしな行動に気がついたことが発端となります。
その当時、母は64歳でした。
今回は、その“母の介護の始まり”について話をしようと思います。
母の変化
その病気の始まりはもしかすると、随分前だったのかもしれません。
60歳を過ぎ、仕事辞めて自由な時間を手に入れた母。
好きなことにのめり込み、お金をつぎ込んでいる様子が目に付きます。
一方で掃除や片づけは全然せず、家の汚れも気になり始めました。
2013年の初秋。
料理上手だった母の料理を久しぶりに食べ、疑問を感じます。
「今、母が温めたはずの料理…何故ぬるいんだろう?」
そして、病気を疑う決め手となったのは“財布の中の大量の小銭”でした。
母は買い物をする際に、細かい計算ができないからか面倒だからかは
分かりませんが、いつもお札で支払いをしていたのです。
今までの母では考えられない行動に、私たちは病院での診察を勧めたのでした。
母の病気とは?
“自分は大丈夫”と信じている母を連れて病院へ行きました。
私たちの疑うところは認知症です。
そして案の定、母は『アルツハイマー型認知症』だと診断されました。
その診断結果を元に、叔母たちや弟夫婦に相談をします。
すると、母の行動や症状から“もしかすると違うのでは?”という話も出てきました。
叔母の勧める病院でも受診、更に精密検査を受けるように大学病院を紹介されます。
こうして様々な検査を受け、最終的に出た病名は
『前頭側頭葉変性症 *1(前頭側頭型認知症・ピック病)』でした。
自分が認知症であることを知った母は、しばらく落ち込みます。
この一連の流れを受け、長女で近所に住む私が母のところへ通うことになりました。
その頃の月子と介護
母が病気だと分かった時、私は自分自身のADHDに全く気がついていませんでした。
それはどういう意味かというと…私自身は
“それなりに介護ができる!”
と思っていたのですね。
今だから分かることなのですが、私は自身の発達障害に
全然気が付かなかったくらい、自分のことを知らなかったのです。
自身がどう考えていてどう思うのか、そしてどのような行動を起こすのかを
正確に認知できず、自分で発した言葉と気持ちとが乖離していることが
よくありました。
そしてそれは発達障害が分かり、気をつけている今でも起こります。
普通の方でも難しい介護問題。
果たして、発達障害を抱えた月子は介護とどう向き合って行くのでしょうか…?
※おまけ
先ほど少し話しの中に出ましたが、自身のADHDに気づいていなかった私が
“ADHDだと診断されるまで”という話は、下記の記事から後ろ3本に渡り
書いています。
↓ 次の記事はこちら。
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*1:大脳の前頭葉と側頭葉の委縮が目立つ脳疾患で、主に若年期(40歳〜64歳)に発症。2015年に厚生労働省の難病に指定された。
参考:難病情報センター | 前頭側頭葉変性症(指定難病127)