大人ADHD 月子の生き方

アラフォーにして、突如『大人のADHD』と診断された月子。 迎えた転機に人生を見つめ直し、新たな生き方を模索すべく日々奮闘中!

発達障害の自覚がなかった私と家庭を持ち、人生を狂わされた夫

※この記事を読もうと思ってくださっている方へ


この記事は文字数にして約12,000字の長文記事です。
読了時間としては、15分前後ぐらいかかるかと思われます。

「今は時間がないけれど、でも後でちょっと読んでみようかな?」と興味を持ってくださった方はぜひ後回しにし、時間ができた際にでも読んでいただければ幸いです。
(もちろん、そのまま読むことを忘れてしまってもOKです!)

記事の内容としては、私の今までの結婚生活における懺悔記事だと思っていただいて間違いないかな…?と思います。
いかに私が酷い人間か。…ドン引きされる覚悟で書いてみました。

私の文章から当時の状況が上手く伝わるかどうかわかりませんが、何となく雰囲気をつかんでいただければと思います。

(2017/06/03:内容更新しました)

 

はじめに

今回は私が発達障害(ADHD)だと診断を受けるまでの約7年間、崩壊寸前だった我が家の内情を振り返りながらお話しをしたいと思います。

なぜ、そのような内容の記事をいま書こうかと思ったのか。
それは先日、夫婦で会話をしていた際にある会話の流れから、夫自身が当時どう思っていたかということを私に話してくれたことがきっかけでした。

私は自分自身が発達障害の診断を受けるまで、自分にそういう傾向があるなんて思ってもみませんでしたし、夫もそうだとは気付きませんでした。
ですが、このことは長期に渡り夫婦関係へと負をもたらし続けたのです。


もしかすると重い話…かもしれません。

でも、私の夫のように発達障害がある人と家族になった場合、その家庭はどういう状況になるのかを知っていただく機会になるのでは?と思ったのも事実です。


私自身は夫を苦しめていた当事者なので、夫の実際の気持ちはどうか分かりません。
ただ、夫と当時の話をすることで、“そうだったのか”と理解することは可能です。

私がそのことについて書くなんて、身勝手すぎる…!といった内容になりそうな気がしていますが、最後までお付き合いいただけると幸いです。

 

 

スタートから…つまずく

キーボードと観葉植物

私たちが結婚をした当初、お互いに実家暮らしで、夫は自営業者、私は派遣として通販会社の電話オペレーターをしていました。

共働きをすれば2人で問題なく暮らせるね。ということで、家は私が職場に行きやすい場所を選び、一緒に生活をはじめたのでした。


が!

一緒に暮らしはじめて2ヶ月後。
私は、数年前に患っていた“うつ病”の再発を思わせる体調不良により、会社を辞めたいと言いはじめます。

特に職場で問題があった訳ではありません。
むしろ、周りはみんないい人で和気あいあいとした楽しい職場でした。

でも…体調はおかしいし、もう何となく行きたくない…。


そんな私に対し、夫はこう言いました。

「もうしばらくは外に働きに行くのは難しいのかもしれないね。自分も自営業だし、家の中で自分にできそうな仕事を探してみる?」

夫自身も以前会社で働いていた頃、凄いストレスからメニエール症候群になり、1ヶ月間寝込むという相当ツライ思いをした上、会社を辞めさせられるという経験をしていたのです。

そんな夫の提案に、私は喜んで飛びついたのでした!

そうして仕事を辞めた後、思っていた通り体調は回復してきました。
私はただ外で働きたくなかっただけのようです。

仕事を辞める時に、夫からこんな提案をされました。

  • 2人で働くことを前提に今の家を借りたので、正直キツイ
  • できれば早めにお金を稼げるよう動いてもらいたい
  • それは、自分(夫)の稼ぎが増えるようなサポートでも可
  • ただし、我が家において専業主婦という選択肢はナシの方向で
  • 社会と関わりを持ち、役割を担う人であって欲しいという思いがある


そっか!なるほど、そういう思いがあるのね。と分かった気になり、私は二つ返事で了承しました。


それから、自分が何を仕事にしたいのか考え…思い浮かんだ答えは1つ。

『得意なことを生かして、仕事にする。』

 

 

自分で仕事を…する?

そんな感じで漠然とスタートし、はじめた仕事。

夫が取引先へ営業をかけて私に小さな仕事を持ってきてくれたり、夫の仕事を手伝ったりと、私なりにやっているつもりでした。


…そう、それは私なりの“つもり”だったのです。


その頃、暇だったこともありPCでもできる交流サイトのオンラインゲームにハマっていました。
ADHDの人は依存性が強く、一度ハマると簡単に廃人レベルになります。

仕事をしている傍らでゲーム画面を小さくですが、常に開いていました。

そしてそのうち、仕事とゲームのどちらの割合が多いのかわからない状態となり、ついに夫から「仕事をしている隣でクリック連打の音がすると気が散るし、ゲームの画面が見えるとイライラする!」と咎められました。


仕事をやめる際に、夫から提案されていたいくつかの約束。
いつまで経っても、私がその方向に進んで行かない現実。

一応営業用にとサンプルをちょっと作ってはみたものの、それ以上は自分で考えようとも動こうともしない私。
だからといって、夫が気持よく仕事ができるようなサポートをするはずもなく…。


それでも夫は、自分の仕事があるにも関わらず、時間がある時は私の仕事について必死に考えてくれました。


私は夫の話を聞きながら「わかった、やってみる!」と必ず言います。

でも…結果として“行動”に結びつかず、何のアクションも起きないのです。


当時の私がどのような状態だったのかというと…

  • 話を聞いた時点では、もちろん「やってみよう!」と思っている
  • 自分は何でもできる!と自分自身を過大評価している(子どもの頃から常に)
  • やればできると思っているので、基本「できない」とは言わない
  • そもそも、私自身が「できない」と認めようとしない
  • 子どもの頃から自分が自発的に「やりたい!」と思ったこと以外は、基本的にやろうとしない・思わないという傾向があった
  • なので結果的に何もやらないし、やらないからもちろんアクションも起きない
  • やってないことに対して、言及されたとしても「約束を破った」という意識は私自身に全くない
  • 自分が「やる」と言った時点において、自分自身は「できる」と思っているため、嘘はついていないことになっている(最初から「やれない」と分かっておきながら「やる」と言ってしまうことが、嘘にあたるという認識)

そのタチの悪さが見て取れるかと思います。


私自身、仕事とはどう考えて進めていくものなのか、次に何をすればいいのか、基本的なところから全然分かっていなかったのです。
そして、分からないからという理由で考えるのを止め、いつも遊びの方へと逃げていました。


私が「やる」といった言葉を信じていた夫は、毎回やっていない私に対して疑問を感じる…を通り越して不信感しか残らなくなりました。

また、私の相手を一生懸命にすればするほど、他人事のようにしか話しを聞けない私に対し虚しさだけが残り、夫の心はどんどん疲弊していったのでした。

↑ このシリーズの書籍は、それぞれの発達障害について詳しく解説しています。
私自身、診断が出てから一番最初に購入した書籍で、未だに読み返しています。

 

 

そして…その二文字が告げられる

夫の私に対する疑問や不信感は日に日に募っていきます。


自分で「やる」と言ったことを、どうしてやらないのか。
…理由がある訳ではなさそうだし、分からないところを聞くでもないし…。

そもそも考える気もないのか…全然意味がわからない!


夫は私のことを理解しようと思い、考えを聞いてきたり話し合いを持とうとしたりと様々なアプローチを試みるのですが、私はいつも話の途中で「面倒くさい、もういいよ、話がよくわからん」と言って、逃げるように中断させていました。

当時の私にとって、色々と話をされたり聞かれたりすることは非常に面倒なことで、なんでそんな話をするんだろう?と理解ができなかったのです。
(あまり深く干渉されることなく生きてきたため、鬱陶しさすら感じていました。)

実際はADHDの特性“注意欠陥”のため、話の途中で気が散って集中できず、一つのことを考え続けるのは困難だった…のですが、当時はそのことについてお互いに分かってはいませんでした。


そんな私でも、夫は愛情を持って接してくれていました。

精神年齢が子どものような私を何とかしなくては…自分が育て直すぐらいの気持ちでいよう!という考えも持っていたようです。


それでも、私のあまりの破綻っぷりに結構早い段階でこの話を切り出してきました。

「我が家は一馬力で、この家と生活を維持できないって言ったよね?どう考えているのかな?このままでは、別居離婚も考えなくてはいけない状態になってるよ。」

様々な状況を把握できない私は、離婚なんて微塵も考えられません。

夫がこのような話をした後には必ず、そうならない為にはどうすればいいか?というところまでをセットにし、私に話をしていました。
そう、解決策まできちんと用意をしてくれていたのです。


そこまでお膳立てをしてくれているにも関わらず、私は一向に変わろうとしませんでした。(実は私なりに多少変わってはいたんです…でもそれは、わずか過ぎて普通の人のレベルには程遠いものでした。)

 

 

金銭管理が壊滅的!

貯金箱と外国の紙幣

少し話は戻ります。

結婚した当初、家の財布は私が管理していました。
私は元々自分の趣味を優先してお金を遣うクセがあったので、結婚してからも自分の欲しい物を買い続けようとしましたが、エスカレートする前に止められました。

我が家は自営業なので、収入が安定している訳ではなかったのです。

それを全く気にもせず支払いが来た順にお金を払っていると、いつの間にか生活費に回すお金がなくなっているという事態に陥りました。


慌てたのは主人です。
私に突然「お金がなくなった!」と言われ、その対処に追われました。

結果、私にお金の管理を任せるのは難しいということで、それ以降は夫が家計を回すようになりました。(現在進行中)


結婚して2年。
私が自発的に仕事をするという動きもないまま…引越しをすることになりました。
いよいよ生活を維持できなくなり、家賃を下げた物件へと移ることにしたのです。

そんな状態でも、私は状況の把握ができずに引越しを渋っていました。
それでも夫は私をなんとか説得し、引越しまでこぎつけたのでした。
(私が言える立場ではないのですが…もう…夫が不憫過ぎて大変申し訳ないです。)

 

 

やっと起業!だけど…

引越しが転機となったのか?…どうかはわからないですが、私は自分の屋号を作り、やっと起業を果たします。

個人事業主としてスタートすることで、友だちから仕事を紹介してもらったりと、少し動きもでてきました。

また、Twitterが流行りだした頃だったのでその波に乗っかり、Twitterで知り合った方々が主催する様々な交流会にも積極的に参加するようになりました。
人脈が広がり仕事も上手く滑りだしたように見え、私自身手応えを感じていました。


でも、私が1人で仕事をしていくことはかなり無謀なことでした。
相手(クライアント)との交渉・打ち合わせ・仕事のやり取り等…メインの仕事以外でのつまずきがあまりに多かったのです。

打ち合わせの時は、その場の雰囲気でなんとなく分かった気になり、相手の要望も聞けたぞ!と思うのですが、いざ家に持ち帰ってみると全然交渉ができていないことに気が付きます。
でも、その時に何が足りなかったのかがわからないのです。


また、仕事を進める中で相手に対し何度も聞くといった確認作業をしなければ、私と相手との認識にズレが出てしまう為、大変手間がかかっていました。
ADHDの人は相手の会話を聞くことが苦手な上に、会話の要点がどこかを掴みにくく、わからなかった部分は勝手に脳内変換して自分の都合のいいように置き換えることもしばしば起こり得るため、相手との認識が結果的にズレてしまうのです。)

他にも相手との交渉をきちんとできなかったが故に、仕事をしたにも関わらず、うやむやにされて無かったことに…ということも何度か経験しました。


私が仕事をする時には必ず夫にその内容を把握してもらい、色々なアドバイスはもらっていました。
でも、失敗をするのはナゼなのか?

仕事のやり方がわからないという私に、夫は仕事の進め方を教えてくれるのですが、いかんせん私は言い訳ばかりで言うことを聞きません。
それならば、自分で考えて好きなようにすればいいよと言う夫に、毎回性懲りもなくアドバイスをくれと仕事の話を切り出す私。
そしてアドバイスを聞くだけ聞いて、結局言うことは聞かない私を、夫が理解できるはずもありません…。

こんな不毛なやり取りを繰り返す私に対し、夫は“本格的に頭がおかしいぞ!”と思わざるを得ない状態になってきていました。
(実際のところは、1人で仕事をすることへの不安感が大きく、夫に共有してもらわないと怖くて仕方がなかったのです。でも、自分の考えがあった場合“曲げない”という面倒な一面もあり、こういう状態になったのでした…。)

↑ こちらは当時、仕事の進め方や時間の使い方を学ぶのに参考にしていた書籍です。

↓ 上記の書籍の図解版として再出版されたものがこちらです。

 

 

そして事態は急変する!

何度も何度も話し合いを繰り返し、私自身当初の頃よりも“話すこと”に抵抗を感じなくなり、多少建設的な話ができるようになってきていました。

それでも、夫には私の行動が理解できないことが多かったのです。

日常的に『離婚』という言葉と話題を切り出されるような状態になっていました。
それでも自分勝手な私はその提案に応じようとはしません。


夫からしてみれば、

  • 私は自分で「やる」って言ってるにも関わらず、全くやろうともしない…なんで約束を破って平気なんだろう、嘘をつくんだろう…
  • 「このままでは、離婚をしないと生活はやっていけません」と言っているのに、生活ができない方向に行動をしているってことは、きっと離婚をしたいんだろう

というようにしか、私の行動を理解できなかったのです。


私自身未だになのですが、想像力が大きく欠如しているため、相手の言葉からその先のことを想像することが難しく、結果それに基づいた行動というものができません。

また、先を見越すことが苦手なため刹那的に行動を起こし、楽な方に進んでしまうという傾向が非常に強いのです。

さらに色々な事象に対し見通しがとても甘いため、「これくらいいいだろう・大丈夫だろう」と物事を全て自分の基準で考えてしまいます。
夫の『離婚』という言葉に対しても「まだ大丈夫」というように勝手に判断をして、真剣に考えることを先送りにしていました。
(主治医が先日話しをしてくれたのですが、ADHDのこの考え方には危険な面があり、「まだ大丈夫・これくらいいいだろう」と思っていると、警察のお世話にまでなってしまった事例がある…とのこと。具体的に何をやったのかは聞きませんでしたが…)


そんな感じでのらりくらりと夫の話をかわしていた私に、ある日突然、大きな問題が降りかかってきます。

私の母が、若年性認知症(ピック病)だと診断されたのです。

当時、母は一軒家で一人暮らしをしていました。
長女の私は近所に住んでいて、長男の弟は遠方に住んでいます。
この関係性から、私が母の介護をすることになったのですが、私はそれが嫌で仕方がありませんでした。

ケアマネさん・ヘルパーさん等との話し合いや調整、病院の付き添い、お金の管理、母の様子を見に行く等…色々なことがどんどんのしかかってきます。

私一人では到底対処しきれず、夫が私の付き添いをして介護に参加する、私の心のケアをする、介護にまつわることを考える…私と同じく夫の負担も増えたのでした。


さらに我が家にはこの時が産まれており、まだ1歳になったばかりでした。
(今回育児に関しては一切触れませんでしたが、その部分においても色々とありました。ただ書きはじめるととても長くなるので、この記事内では省くことにしました)

育児においても、私一人が全部できる訳ではなかったので、夫と私の2人きり二人三脚で頑張ってきました。


その最中での、今回の出来事。


夫への負担は一気に何倍にも膨れ上がったのでした!


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↑ 上記の母の介護関連の詳しい内容は、この記事で触れています。

 

 

もう…限界だ…

造花と手紙

夫自身はもう何年もの間『離婚』について真剣に考えているため、そのことで感情的にどうこうということは一切ありません。

『離婚』の問題となっている点は、好きとか嫌い等という感情の部分ではなく、私の行動が生活や家庭の維持を難しくしているところにあるので、夫が普段私に接するときの態度は、以前と(それこそ結婚当初と)全然変わらないのです。
ともすると、そういう態度で私のサポートをしてくれるので、周りからは“いつも一緒に行動している、仲良し夫婦”と見られます。

夫のその行動は、私にとっては大変ありがたいことなのですが、夫自身は自分の首をどんどん締める方向へと進んでいたのです。


母の介護についても、私の叔母たち(母の妹たち)は私に色々とアドバイスをくれるのですが、実際に動くのは夫です。(私が1人でしない・できないので)
私も叔母に言われたことに対し、なんとなくできる気になって受けてはみるものの、実際はいっぱいいっぱいになり、疲れ果ててしまいました。

以前書いた記事の中でも、その時のことについて触れています。

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私は“周りから発達障害だと全く気づかれてなかった”ので、夫は余計に家庭内が大変な状況にあるということを誰にも理解してもらえなかったのです。
もちろん、そんな状態ですので相談相手もいませんでした。

私のことを子どもの頃から知っている叔母たちですら、私に発達障害があるなんて微塵も疑わなかったのです。


母親の介護を子どもが行うことは当然の行為です。
ですので、叔母たちが母の介護について私を旗振り役にするのもよくわかります。

でも、家のことすらまともにできない、育児もいっぱいいっぱいの私に母の介護までできるかどうか…夫から見ても私自身も、それは“無理”だと思いました。


そして夫は、それらが普通にできない私はもう“普通ではない”と再認識したのです。


普通の状態でないとしたら…なんなのか。
ネットで色々と調べては、『適応障害・境界性人格障害…等』名前が出てくる色々な障害や症状に私が当てはまってはいないか、考える日々を送っていました。

ただ、毎日は黙っていても過ぎていきます。
普通ではない私の相手をしつつ、自分の仕事・育児・介護…とすべきモノ全ての対処に追われ、もう限界のところにまで来ていました。


「ごめん…もう、俺このままだとおかしくなりそうだ…。」


静かにそう私に言った夫。
でも、私にはどうすることもできません…。


「叔母さんたちには、ウチの状況を知ってもらいたい。」

「あとさ、やっぱり月子ってなにかしらの障害があると思うんだよ。発達障害?っぽいものかも…色々とできないことが多すぎる。一緒に病院に行って診てもらおう!」


この言葉を聞いた私自身、それが最善の方法だと思いました。

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↑ 夫が私の発達障害を疑い、病院に行くまでの流れはこの記事からどうぞ。

 

 

そして、病院へ

私のことを病院で診てもらおうにも、どこに行けばいいのか全くわかりません…。
まず最初に相談したのは、母の主治医(精神科の先生)でした。

先生は驚きながらも丁寧に応えてくださいましたが、こんなことも言われました。

「どんなにご家族が困っていたとしても、本人に困っている自覚がなければ、病院で診断を受けることは難しく、無理矢理受けさせたとしても事態は好転しません…。」

「そのような状況なら、ご家族の方の心のケアをするという方向へ考え方を変えて、ご家族が病院を受診された方がいいかもしれませんね。」


夫はその話を聞いて衝撃を受けていましたが、でも確かに先生の仰ることはもっともだと言っていました。


大人の発達障害の場合、当事者本人に『現在困っている、その状況を変えたい、どうにかしたい!』という意志がない限り、診断を受けることすら難しいのです。
そうなると、その当事者の家族はますます追い込まれ、その家族に対する心のケアが必要になる…とのこと。
(でも根本の問題が解決されない限り、ただ不毛なループに陥るだけだと思います)

私自身はこの話を受けて、今まで何となく他人事のように思っていた自分を恥じ、夫に対し申し訳無さを感じるとともに、これ以上迷惑を掛けたくない、でも離婚もしたくないから私が変わらなければ!と、診断を前向きに受ける決心をしたのでした。
(その後、母の主治医からは発達障害等があるようには思えない…と言われました。話しをする限りでは、私が発達障害を持っていると分からなかったようです。)


※母の主治医には母が脳の検査を受けた大学病院を紹介していただきましたが、その大学病院では結果的に『発達障害ではない』との診断がでました。その内容については、下記の記事内にて触れています。

自分が【大人の発達障害(自閉症スペクトラム・ADHD等)】だと気が付くきっかけについて考えてみる ~追記・発達障害だという診断は必要なのか~


私が発達障害の診断を受けるまで、とにかく大変な道のりだったのですが、その話は以前の記事内でしっかりと取り上げています。

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現在の私たち

私に発達障害(ADHD)があると分かってから、まずは叔母に話をしたところ、とても驚かれつつも理解をしてもらえました。

そして母の介護の方ですが、色々な条件が整った弟夫婦が遠方から帰郷し、しばらく同居(二世帯住宅にて)をしながら様子を見てくれることになりました。
つい先日帰ってきたので、私たちも少し落ち着けそうです。


問題の我が家の方ですが、私がこれから発達障害とどう向き合っていくのか、なにか工夫なり対策なりで生活は改善できるのか様子見な感じです。


3週に一度、ADHDの薬(ストラテラ)をもらいに夫婦で病院へ行っているのですが、先日会話の中で「今でも真剣に離婚を考えています。」と言った夫の言葉に、主治医はちょっと動揺してしまい、私に対して「全部いっぺんには難しいので、1つずつ改善いきましょう。」と心配そうな顔で提案をしてくださいました。
(いつも夫婦で通院・診察を受け、特に険悪な感じもなく仲良さそうに見えるので、離婚の話は少し落ち着いたのかな?と思われていたみたいです。)

また「大事なものを失ってから気づく…では遅いので、離婚となった時に自分がどう感じるのか、できるだけ想像してみるようにしてください。」とも言われました。


私自身も夫から先日、「育児に関して、私の接し方やしつけ方が娘の成長に悪影響があるようなら、やっぱり一緒には暮らさない方がいいと思う。」と告げられました。

いつもは何の気なしに流してしまうのですが、今回のこの言葉はさすがに肝をつぶしたので、改善をしなければ!と心を入れ替えているところです。
(でないとすぐにADHDのクセで、まぁこれくらいいいだろう・大丈夫だろうと高をくくって先送りにし、大事なことを忘れてしまうので!)


夫と娘とずっと一緒に暮らせるように、私はこれから家族との気持ちの共有と、少しでも多く色々なことができるようになる工夫をしていこうと思っています。

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ADHDの治療薬ストラテラについての関連記事はこちらから。

 

 

発達障害があるということ

私のように発達障害があるといっても、その特性の現れ方には個人差があります。
ですので、私のような感じで家庭を崩壊に追い込んでいる方が多いとは思いません。
私はどちらかというと、家庭や家族内においては酷い方なのではないかと思います。
(私は過去に一度離婚を経験していますが、その根本の原因は私が上手く家庭を回せないところにありました)

たまに夫から“家庭を作るのに向いていないよね”と言われます。
子どもの頃から他人(特に家族)に、何でもやってもらうことが当たり前な環境で過ごしてしまったので、その環境を夫と作る家庭にも持ち込んでしまったのです。


これは、発達障害の人にある「自分と他人との境界線がわからない」という特性からくるものなのですが、私の場合『自己と他者は別の人間だ』という理解はできます。
ただ、それが家族ともなると“自分のために色々とやってくれるのは当たり前”だと感覚的に思ってしまいます。

特に子供の頃には、自分の親を自分の手足のように感じていたので、他人の域を超えて過剰な要求をしてしまっていましたし、親は子どもの要求なのでどうしても甘くなり、その限界知らずな状態を受け入れ、許していました。

私はその感覚を夫にも要求していて、私のために動いてくれるのは当然だと勝手に思い込んでしまいます。
要求される夫の方はたまったものではありません。
私自身、頭では理解しているのに、ふとしたところでその感覚が出てしまい、なんで私の要求が通らないのかしら…と勝手にモヤモヤとしていたりするのです。


夫は「私と結婚したことで、人生がめちゃくちゃになった。」と半分冗談で半分本気で言うことがあります。
でもたまに、「人とは違う面白い人生を歩ませてもらっているかもね。」と言ってくれることもあります(こちらは滅多にないですが!)

発達障害を持たない人(定型発達者)発達障害を持つ人と生活をするということは、非常に困難なことなのかもしれません。

理解ができないこともたくさんあるようです。
(私自身、自分が発達障害だと分かってからようやく自分自身の一部分を理解できた感じなので、定型発達者から見たら宇宙人レベルで分かりにくいかと思います)

それでも夫は、できるだけ理解をしようと会話や話し合いをしてくれますし、私ができない部分は嫌な顔をせずサポートしてくれます。


もしかすると、この記事を読まれている方の中には、発達障害がある人を家族または伴侶に持ち、苦しい日々を送られている方がいらっしゃるかもしれません。
私からは、そんな方々に“頑張って!”なんて言うことは到底できません…。
それは他の人からはなかなか理解してもらえない、想像以上に大変なことだと分かるからです。

そういう方が今後どうしていけばいいのか、今の私には答えを出すことはできませんが、自分を通してこれから見つけていければと思っています。

発達障害がある方や、そのご家族の力になれるような活動ができればいいな!という野望(?!)は持っています。


でも、今の私に一番必要なことは、自分の家族を大切にし“夫を苦しめている自分と早く決別する”こと、“娘のためになるような母になる”ことだと思っています。

また、今でも変わらず愛情を注いでくれている夫に感謝の意を表したいと思います。

発達障害を持った方には認知行動療法が効果的だそうですが、こちらは様々なエピソードを通じて、自分の意識と行動を変える手伝いをしてくれる、そんな書籍です。

 

 

おわりに

今回の記事は以上となります。
決してまとまっているとは言えない、長いだけの文章になってしまいました。

夫からところどころ話を聞いてはいるものの、私が文章を書いているので、当時の危機感や夫の苦しみは、思っていた以上に伝わらないことに気が付きました。

また、自分のことなのに全体を通して他人感が漂っているところが怖いです。

夫自身が書くと、かなり鬼気迫る内容となり、私はもっとひどい人間として登場するかと思われます。
それがたぶん正しい内容です。
(私が書くと、どうしても自分をオブラートに包んだ人物像にしてしまうため)

今後も自分の行動を省みる意味で、こういった記事を書ければと思っています。

 

最後になりましたが、貴重なお時間をいただき感謝しております。

ここまで読んでくださり、本当にありがとうございましたm(_ _)m


ADHD(特に女性)の会話を元に、ADHDの特徴にまで広げて考察した記事です。

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